思考を介さず身体で聴く

こんにちは。頭で理解するのが大好きな村瀬です。

「左脳の時代から右脳の時代へ」

「思考からバイブスへ」

などのキーワードに出会うと、切なさ・悲しさ・少しの絶望を感じつつ、同時に気楽さ・ユルさ・身軽さも感じる今日この頃です。(まぁ今日どころではないね笑)

目次

身体で聴くってどういうこと!?

昔の職歴柄、ヒアリングでフル回転していたのは確実に「頭」でした。

もちろん、”なんとなく感じる気配”みたいなものも同時に拾っていた感覚はあるけど、圧倒的に言葉を中心とした情報を主にきいてきた私としては、

「身体で聴く」
※ボディ・ハート・お腹などいろんな言い方があるけどここでは総称して身体としておこう。

っていう言葉に出会った時、そして今もまだ

それってどういう感覚??

って戸惑う。

そしてこの状態自体がまだまだ思考過多だなーって、残念に思う気持ちと、やっぱり理解したがり屋で仕方ないなー私(笑)って微笑ましくなる気持ちになる。

というわけで今日の投稿は、「身体で聴く」を私なりに紐解いてみます。

まず聴く対象。それは自分なのか?他者なのか?

「対話」をテーマに活動している私としては、対話の相手という観点で分けると「自分」と「他者」になるなーと考えていて。

そしてその相手によって、私自身の感覚値・経験値が違う気がしているので分けて考えてみようかと。

相手が自分の場合

元々「内省」は得意を超えて無意識レベルでやりまくってきた私。

ただ、自分との対話の仕方を色々と学ぶまでは、とにかく自分を責め続けるスタイルの「内省」でした笑

自分を責めていじめる以外の内省の仕方を学ぶ中で出会ったのが

「身体のどこで何を感じているのか」

「ハートは何と言っているか」

などの首から下の身体に問う質問でした。

ずーーーっと、脳内だけで言葉の紐解きやら、整理整頓やら、相手の気持ちや事の先読みやらをしてきた私にとっては「え、なんそれ?」と思考停止する問いでした。

とは言え、多分これまでの人生で使ったことがない機能というわけではなく、無意識下では感じて行動に反映されたりはしてきたはずなんです。ただ意識のスポットライトが当たってなかっただけ

でも当ててこなかったから、急にスポットライト当てたくても、どこにどう当てたらいいのかわからないんだよね。。

特に感情は無視する癖がついていたので、出会った問いを元に、とりあえず自分の内側を探索をしてみる。
今もその最中って感じ。

「ハートは何と言っているか」

→楽しい、嬉しい、あったかい、悲しい、妬ましい、悔しい、ムカつく、イライラ、熱いなどなど

「身体のどこがどう反応しているか」

→手が熱くなってきた、声に力が入ってきた、前のめりになってきた、目が見開いた、瞼が重い、痙攣する、身体が重いなどなど

色んな状況でこの様々な現象を感じ捉え、そこからさらに感じるものは何かとフォーカスしていく感覚

そういえば、「腹落ち」という言葉と感覚は、身体で聴くっていうことの一種かもしれない。

頭で理解じゃなくて、体験して体感を伴って初めて「こういうことかぁ」と身体で理解できる。

あとはストレッチやヨガ、瞑想なんかも、アプローチの一つかもしれない。

ちゃんと伸ばしたい筋肉に意識を持っていって状態を確認する。
っていうのはまさに自分との対話において身体で聴いてる感じなのかもしれない。

緊張している、力が入っている、リラックスしている、集中できる/できないなどなど。

自分に対して身体で聴くということは、自分の身体を通して何を感じているのかを捉え、それを踏まえてさらに何を感じ発見・気づくのか。

ということなのかなぁ。。

そして、その現象を言語化・構造化しようと、私の思考が登場してくるんだろうなぁ笑

さて、次は私の中ではさらにあまりピンときてない「他者」の場合。何がピンときてないんだろうか。

相手が他者の場合

長らく頭で聴くスタイルで仕事をして生きてきた私からすると、「身体で聴く」という言葉を聞くと意味がわからずとりあえず思考停止してしまう。

しばらくして浮かんできたのは、コーチングの学びで得た「非言語を聴く」かな。

相手の言葉以外の、表情や姿勢・仕草、音質などを、頭で聴くというよりは、肌感覚でキャッチしている。
そんな感覚があるから。

とは言え、「身体で聴く」の本質からするともう一段階ある気がしてならない。

自分で”肌”と表現しているように、表層でキャッチしているに過ぎない。

ボディやハートという言葉からは、もっと身体の芯・内側でキャッチしている感覚を受けるから。

こうして文字にしつつ浮かんだイメージがこちら。

肌でキャッチ:認知・認識するだけ 「あ〜なんか○○な感じがするなー」で終わる

身体でキャッチ:反応する 「あれ、なんか動いちゃった」みたいな。

なんだか妙な納得感が笑

身体でキャッチしたら、勝手に反応してる!その時は頭で動いてないな、と。

例えば、ヒアリングしてても、事前に準備してきた確認事項とは別な話の流れで、「あれ?その先に何かありそう!」という感覚が生まれてきたら、それは何のために聞くかとか、聞いてどうするかとか関係なくその瞬間に質問をしている。みたいなことに近いかも。

思考を介していなければ、身体でキャッチできた。
って言っていいのかな??笑 なんか屁理屈っぽいけど笑

プロセスをどうこういうより、身体で聴く=(反射神経の如く)瞬時にアクションが起こるってことかも。

そしてアクションも、他者から見える行動から、自身の中での感覚の変化まで多様なものがある。

とにかく思考を介さず、自分の内外で変化が起きたら、身体で聴けたってことなのかもしれない。
そんな気がしてきた。

自分と他者と分けて考えてみて、生まれた気づき

相手が他者の場合において「身体で聴く=(反射神経の如く)瞬時にアクションが起こる」ということかもしれない。ということに気づいて、これを自分に対してあまりやっていない、というか許していないかもしれない。という気づきが生まれてきた。

他者がいる状況においては、あまり時間は待ってくれないことが多いので、瞬発的にそのアクションが起きるか起きないか、の二択しかないのだけど、

自分相手だと、次の予定が来るまでは、時間があったりするので、熟考できちゃうんだよね。

よく言えば、自分のための時間をじっくりと使える。

なのだが、逆に言えば、

必要以上の時間を使って、思考でコネクリ回している。

とも言えてしまう笑

そして、コネクリ回す理由としては、

・そもそもそれはどういう意味があるのか
・これまでの知識とどう関係してくるのか
・私自身にとってどんな発見につながるのか
・それによって何を得られるのか
・自分に合っているのか
・心配事は何か
・リスクは何か
・失敗しないためには
・効率よくやるには
・一番最適な道はこれなのか
などなど

自分自身が大好きな、自己理解概念理解知識吸収という趣味の一面もありつつも、大半は恐れに対する検証が行われてしまっている、、。

だとするならば、

自分に対しても、時間は有限であり、いつも瞬発的にアクションを起こす?起こさない?の二択のスタンスでいてあげた方がもしや良いのでは??

そして、ちょうどタイミングを見計らったかのように、運命の友と呼んでいる昔からの友人の在り方・振る舞いがまさに「身体で聴いて」いるからこそ、とっても軽やかにいろんな行動を起こし、その結果奇跡のような出会い・ご縁に恵まれている様子を見聞きし、自分の思考の使い方のアップデートをより促されている気がしてきてしまった。

新社会人になりたての頃によく言われた

「考える前に行動してみろ」

この言葉がめちゃめちゃ脳内リピートされている笑

いや、笑ってる場合じゃないし、こうしてブログも書いてる場合じゃない!??

「今ハートはなんて言ってるの?」

そして、それをやる?やらない?


「身体(ボディ/ハート)で聴くって、経験値がないと聴けない気がする。」

と、ブログを書き始めるときに漠然と思っていたけど、その経験値をとにかくアクションして貯める。

ただそれだけのことかも。

これだけ文字にしてコネクリ回しておいて笑

まぁ気づきがあるからいいんだけど、身体で聴けてる人からすると、なにしてるの??って感じなんだろうな笑

いやはや、面倒な性格である^^;

Thank you for sharing!
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この記事を書いた人

村瀬 敬 / murase kei
「対話力」構築プロデューサー/自己探究付き添い人/自己探究マニア
趣味は言語化、図式・視覚化、言葉遊び、間取り図眺め、遺伝子易経観照、猫動画鑑賞、いけばな
そして猫とあんこLOVE。

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