”話すこと”はまさに”放つこと”だった!

2/22からひっそりと始めたstand.fm(スタエフ)でのラジオ的配信。

目的は「自分のインナーチャイルドを満たすこと」
詳細はこちらの投稿を。

約ひと月の間に、13回の録音配信をやってみました。

14回目の配信では、このひと月を振り返ってみて改めて話すことの大切さを感じたので、ブログで文字としても整理してみます。


スタエフでの配信では、振り返って気づいたことについて幾つかしゃべっていますが、総括するとタイトルの通りだったんですよね。

内観/内省の必要性も大切にしつつも、そこに話すというアクションも加えることで、自分の内側でグルグルしていたエネルギーを放って身軽になれたんです。

心自体も身軽になったように感じるし、行動も身軽になってしやすくなった。

そして、誰に向かってというよりは、自分自身に向けて声に出して放つ=宣言するってことになるな、と。

「話す」というアクションは他者がいて初めて成立するものだと思っていた。

でも違ってた。

その前に、というか常に、自分自身と話してたよね。

内省・内観は声に出さないけど、自分自身と話してた。

それを、実際に声に出してみる。

というそれだけの違いなんだけど、体感が圧倒的に違うんだよ。

本当にエネルギーの流れが違う

図にしてみるとこんな感じ。

感覚的にはこれくらい差がある気がしている。

解放されてく。そんな感覚も。

内観だけだと、自分の思いにある意味囚われる一面もあったのかもしれない。

図にしてみて、改めて感じる。

内観もめちゃめちゃ大切だよ!

今回は今まで自分が話してこなかったからこそ、話すアクションの効果をとても感じているだけ。

そして、この体感が私にとっては新鮮かつパワフルなものなのです。

2023年から複数のコミュニティで、「ただ言葉にし受け取り合う」という時間を重ねてきた。

そこでは、「話す」そしてそれを聴いている他の人は、ジャッジメントもせず、アドバイスもせず、コメントもする必要もなくただ聴くだけ。

コーチングの学びで、セッションでは”聴いてるよ”という何らかの反応をする。という過ごし方を学んできた私には当初戸惑う時間だったけれど。

それが今では確信に近づいている。

人は本当にただ聴いてほしい生き物なのだ。

もしくは、ただ受け止めてほしい生き物、とも言える。

そこには当然ながら、ジャッジメントもアドバイスもコメントもいらない。

ただ隣にいて、存在そのものを受け入れ合うだけで充分なんだ。

そんな対話の場は周りで急速に増えている。

そして、私もそんな対話の受け取り合う場を、私なりにご縁ある人たちと創っていきたい。

そんな願いを今は文字にして放って、今日は締めていきます。

それではまた。

Thank you for sharing!
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この記事を書いた人

村瀬 敬 / murase kei
「対話力」構築プロデューサー/自己探究付き添い人/自己探究マニア
趣味は言語化、図式・視覚化、言葉遊び、間取り図眺め、遺伝子易経観照、猫動画鑑賞、いけばな
そして猫とあんこLOVE。

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