「自分の感情と向き合う」螺旋的自己探究

– 今この瞬間、自分が感じた感情を私は無視している。-

初めて自覚したのは、3年前に受けていたコーチングセッションでした。

趣味が仕事だった私にとって、仕事において感情は横に置いて、物事をシンプルに見つめ整理することが大事だ。

と本気で思っていたので、感情に焦点を向けることの意味や、向け方そのものもわかりませんでした。

コーチの問いによって、感情にフォーカスを当てられても、感じ方の回路が育っていなさ過ぎて、何も感じられない、そして思考が止まる。ということが起きていました。




そこから3年。

様々な探究メソッド、コミュニティ、本、アクティビティなどを通し、いろんな角度からのワークを行ってきました。

そしてさらにこの数日は、怒涛の問いを通して「自分の感情」と向き合うことになり、タイトルの螺旋的な自己探究だなぁと思ったわけです。

その理由として、この数日に向き合った感情はこれまでにも何度か出会ってきたものたちだったから。

初めまして。という新鮮味のあるものではなく、

あぁまた出会いましたね。と思うのと同時に、あぁ、私はあの時結果的に受容せずにスルーしてしまってたんだね。

とも感じ、螺旋上で何度目かの再開を果たしたような感じでした。

そして、今回は、

「いるね」って認知はできてたけど、眺めて終わっていたこれまでの状態から、
ちゃんと向き合って

「そう感じてたんだね。それは辛いよね。どうこうしなくていいんだよ。そう感じたこともそれでいいんだよ。」って抱きしめに行けた。

そんな行動の違いが昨日今日は起き、自分の身体からも少し余計な力が抜けたように思います。


占星術の観点からも、今の時期は変容のスピードが上がっているらしいです。(注:浅い知識です。)

どうもその流れなのか、本当にこの数日出会ったコンテンツ全てが感情にフォーカスするものでした。
もういい加減に受け止めなさい。とでも言われているような。

・ブックカフェでたまたま手にした苫米地さんの書籍「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!
(実はkindleのunlimitedでもすでにダウンロードしてあった本だった笑)
 から、「自分のゴールに必要な感情だけ採用すればいい」という言葉


・何で見たのか元を忘れてしまったけど「見たくない自分とは?」という問い


・自分の不調から、感情・精神・スピリチュアルが訴えるメッセージを知る書籍
 自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ リズ・ブルボー著
 肉体的・感情的・精神的レベルの問いたちから、スピリチュアルなレベルの整理からの、<許し>のステップ
 以前から持っていたし、慢性的な症状に対して急に読んでみたくなった。そうしたらワークが始まった。

こうして、この数日の問いたちを整理してみると、螺旋的に何度目かの出会いであることは必然なのかもなぁとも。

3年前なんて当然のこと、途中の私であっても、この問いに答えられるだけのものがまだ育ってなかったんじゃないかって。

だから、時間かかってバカだなぁとか、もっと効率よくできないのかなぁとか、もう思うこともない。

そんな観点からも、必要なだけの螺旋の人生を歩んできたなぁって感じました。


こうして私は何個目(何十個目!?)かのマトリョーシカをひと脱ぎした。

しかも、今回のマトリョーシカは過去に何度も脱いだつもりになってた同じ柄のマトリョーシカだった!

なんかそんな気がしてます。

だからまぁきっと、また「やや、あなたはいつぞやのマトリョーシカですね」ってなるんだろーなー笑

と、次の出会いを今度は楽しみにしておこうと思いました笑

Thank you for sharing!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

村瀬 敬 / murase kei
「対話力」構築プロデューサー/自己探究付き添い人/自己探究マニア
趣味は言語化、図式・視覚化、言葉遊び、間取り図眺め、遺伝子易経観照、猫動画鑑賞、いけばな
そして猫とあんこLOVE。

目次