この鍵は、私の遺伝子の鍵チャートの主要ギフト「目的」にある鍵です。
そしてまた、この14番の鍵は、11月17日〜22日に活性化しているため、ご自分のチャートにこの番号がなくても何か感じるものがあるかもしれない。というタイミングでひとり読書鑑賞をしました。
私のひとり読書鑑賞スタイルは、グループの時と同様に音読しています。
黙読ではちっとも内容が入ってこないことと、本にもこのように記載があるので、
頭で理解しようとすればする程、欲求不満が溜まる結果になりかねません。
遺伝子易経 – リチャード・ラッド p.xxvii
顕在意識の私は何も考えずにただ音にして読み、潜在意識に代わりに聞いてもらう、くらいのノリで音読しています。
今わからなくてもいつか体感からわかる時が来るさ。と。
心の闇「妥協」の文章において、今回一番突き刺さったのが、こちら。
夢への長い道のりを最後まで完走する力も才能も自分にはないのでは、という根深い恐れがあります。
遺伝子易経 – リチャード・ラッド p.95
ズドーン。
いや、あります。その恐れありますとも。。
完走なんて苦手だしやりきれないですとも。。
そこへさらに、
抑圧的振る舞い 不能
遺伝子易経 – リチャード・ラッド p.97
不能の本当の意味は、1人で立ち、独自の道を追求する勇気を持たないことをいいます。
うわぁ、、まさに「完走する力も才能も自分にはない」という恐れから生まれている!!! うぅーーー!
めちゃくちゃ痛いところ突いてくるな、今日の鍵。
と思ったところに拍車をかけて。
そういえば、私の母は同じ鍵を「進化」の場所に持っていて、対の8番と共に、
「他人にどう思われるか、とか全く気にせず、自分の関心毎に没頭する人。」を体現しているわ、、、という気づき。
そして、その姿勢が、というよりその生き方から生まれる言動が昔から嫌だと感じていて、反面教師にしていた。その結果、私は言動(言葉)・対話というものに着目していくことになったのだけれど。
自分が母親のここ嫌い!って思っていた言動の源=生き方こそ、自分が今世で体現していく生き方であったという驚き。私にとってはこの8番を認め受け入れることこそが自身の健康に繋がり、14番の才気によって人生の目的を果たすこと、なので。
この母親との関係性、というか自分が母親に向けてきた感覚に対しても、見方が180度変えられる体感を得て、なんとも言えない感覚を感じつつも、同時にどこかで霧が晴れていくような感じもした。
この心の闇の文章には、他にも「あーこれこれ」みたいなところがあるんだけれど、今日は割愛。
ちょっと上の内容だけで疲れてきてしまった笑
最後に、天の才「才気」に少し触れて今日の投稿を締めていこうと思います。
本文中に出てくる妥協について書かれているところを、自分なりに組み立て直すと
そもそも「妥協」とは、人生で、想像力の欠如と、自分の独創性と個性を信頼していない状態である。
そして、この妥協に気づき止めた時に「才気」が現れる。
ということは、
人生で、想像力を持ち、自分の独創性と個性、さらには完走する力、才能を信頼している状態になったら「才気」が現れる。
とはいえ、心の闇から天の才には行こうと思ってトライするものでもできるものでもなく、ただひたすらに経験と気づきを重ねるだけ。なんだけれども。
自分で現状について検証してみると、
想像力 ▶︎ 持ってる!
自分の独創性と個性 ▶︎ 感じてる!
完走する力 ▶︎ やや自信なし、、、
才能 ▶︎ 感じてる!
と、下3つはなんだか完全な信頼とは遠い状態だなーと笑
じゃあ、”在る!信じてる!”と言い切れるためには何があるといいのか?
なんていう問いを自分にしてみたものの、あまり意味のない問いのような気がしてきて、そこから生まれてきたのが、
「完走」の言葉の定義の変容。
「完走」というためには、めっちゃ長い距離を走りきらなくちゃいけない!!という「ねばならない」がいた。
”ある一定の距離や時間を最後まで走り切ること”という定義に置き換えられれば、
短距離走でもいいじゃん。てか、私は短距離ランナーなの。
走るって決めた短距離は、私走り切ってるよ!!
しかも私が短距離って思ってる距離が人から見たら長距離にも見えることもあるし!
と、一気に自己を肯定し、自信まで湧いてきた!
そして、才気の「効率性、熱意、才能、柔軟性 ー 物質的成功の四つの鍵」についても、あー、こんな時が当てはまるかもー。と過去や今のいろんなシーンを思い起こしながら過ごしたのでした。
やはり、自分の主要ギフトだと響くところがいっぱい笑
今日はここまでにして、後日追記するかvol2を書こうと思います。
それでは。
※本投稿はあくまでも読書観照時の、個人的な気づきや解釈を書いているだけです。説明やガイドではありません。この番号からこんなこと感じたのね、と自分と異なる(もしくは同じ場合も)意見に触れてもらえる場として機能できたら嬉しいです。