「自分を愛すること」とは?

「自分を愛すること」

という表現には、これまでにもワークショップや本のタイトルなどを通して何度か出会ってきたけれど、あまり注力して深く考えることがなかった。

たぶん、私にとっては日常的に使う言葉じゃないから。

身近な距離感にない言葉だから、存在は知ってるけどマジマジと見ることがないもの。って感じ。



それが、オラクルカードから「とにかく自分を愛すること」というメッセージが出てきて、

改めて「自分を愛すること」について内観する時間がやってきたわけです。



最近は、いきなり文字にするのではなく、とりあえず口に出すっていうこともしていて、

今回も自分で自分に問いながら、声に出して答えてみる。

ということをしてみました。
(そう、独り言です。なので、1人の時にやることをおすすめします笑)



『「自分を愛する」とは、何ができたら愛せたと言えるのか?』

という問いをしてみたら、

「自分を愛すること」とは「自分を否定しないこと」という言葉が出てきた。



あー、否定しないことか。。

と、自分の口から出てきた言葉に少し驚きながらも、どこかに納得感も感じていた。



ここ最近、自分自身の癖を一つようやく認識したものがあって、それが

・「やってみたいな!」って湧き上がってきた想いに対して
 「いやでも、、」と心配事や恐れをベースにした思考がすぐさまそれを止めてしまう

ということ。

これって、ある意味「やってみたいな!」ってことを叶えていない状態になるので、イコール「否定している」

とも言えるわけですよね。

「いや、いつかは、、」といつかの未来に叶える予定のつもりであったとしても、
現時点においてはすぐに動いていない時点で、叶えていない状態になる。
大体のことはその”いつか”も忘れてしまうしね。

結果、やってみたいなが蓄積されるけど、いつまで経っても消化されない。

積読本のようになってしまう。

これまでの自分のことを振り返ると、本当にそのパターンがよくあるな、と気づく。
むしろ、そのパターンしかない!???

そしてこれに気づけたのは、長年の友の、「行ってみたい!と思いついたところに、今日行ってきたよ!」とか「初めて知って感動したことはすぐにSNSで発信する様子」などからの<感じてから行動するまでの時間の短さ>

なんて軽やかに動くんだろう、羨ましいなぁ、と思うのと同時に、
「私は色々と思いつく割に、その都度なんやかんやと心配顔しながら言い訳を作って行動を止めているだけなんだ」と。

もう深く考えずに「やりたい」なら、とりあえずどんな形でもいいから最短でやってみれることで実現してあげたら、「生まれてきた気持ちを否定することなく叶えてあげた=愛せた」になるんじゃない?と。



もうこうして文字にすると、本っっっ当に難しくないことなのにね。

・効率よく最短で最高を目指したい

・誰かに協力してもらうってなんか申し訳ない

・謎の完璧主義

・何か失敗したり予期しないことが起きたら困る

とかとか、いろんな思考が渦巻いて、素直な気持ちを打ち消しまくってたわ、私、、、。

・効率よく → 「効率よく生きたいなら、生まれてすぐに死ねばいい」という言葉に出会い → 最短コースなんて存在しない

・誰かに協力 → 協力してもらう、頼る。ということはその人への信頼・愛を伝えること

・謎の完璧主義 → 「完璧」という状態は本当にただの幻想

・失敗とか → とりあえず動いてみて変化を感じれば大成功 ”失敗”っていう概念も幻想

という感じに、これまで邪魔させてきちゃった自分の価値観・思い込みを徐々に変えられてきたな

と、改めて実感。

ということで、兎にも角にも、

感じたら、とりあえずどんな形でもいいから行動してみる

それをただただ重ねるだけで、「自分を愛している」状態になっていくんだろうね。

そして、今ならそれができる気もしている!

こういう考え方の変化ができたのも、これまで出会ってきた人のおかげだし、そしてとことん自分と向き合ってきた自分自身のおかげである!

感謝^^


こうして、自分を愛せるようになっていったら、周りの人に対しても愛せるようになる。

自分が変わると周りが変わる、世界が変わる。

へと繋がっていく。ってことですね。

Thank you for sharing!
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この記事を書いた人

村瀬 敬 / murase kei
「対話力」構築プロデューサー/自己探究付き添い人/自己探究マニア
趣味は言語化、図式・視覚化、言葉遊び、間取り図眺め、遺伝子易経観照、猫動画鑑賞、いけばな
そして猫とあんこLOVE。

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